googleデザインの10か条


うーむ。ちょっと前に流行ってたらしい記事。
記事のリブログは避けようと思いつつなんか気になるのでメモ。
いつもどこかで気にしているコトががつーんとすっきり表現されていたので。
建築だってきっと速い方がイイよなあ?!


Google's Design Guidelines

1.役立っているか? (useful):人々の仕事、生活、夢の実現に貢献しているか?

2.速いか? (fast):ミリセカンド単位で高速化しよう。

3.シンプルか? (simple):シンプルであることはパワフルだ。

4.魅力的か? (engaging):初心者にとっても上級者にとっても魅力的か?

5.革新的か? (innovative):大胆に行こう!

6.ユニバーサルか? (universal):全世界で使えるか?

7.利益が出るか? (profitable):常にビジネスを見据えよう。

8.美しいか? (beautiful):はっとさせるデザインか?

9.信頼できるか? (trustworthy):信頼されるように努力しよう。

10.親しみがあるか? (personable):パーソナルタッチを大事にしよう。


ネタもと↓
http://www.ideaxidea.com/archives/2008/03/google10.html

 イメージを読む

jiu2008-04-27



若桑みどりさんの「イメージを読む」読了。去年,亡くなったときに彼女の本を読んだことがなかったので買ってみたのだった。ものすごく全うな美術史入門の本で、超に超がつきそうなほど有名な4人のルネッサンス時代の画家の作品が読み解かれていく。ミケランジェロ最後の審判ダ・ヴィンチモナ・リザ、最後の晩餐、デューラーメランコリア、ジョルジョーネのテンペスタ。といっても最後の2つは私などは知らない絵なのでしたが(泣 (テンペスタ(嵐)→)


いつから絵というのは作者がココロに描いた物を作者の考えで描くようになったのかわからないけれど、印象派の時代にはもう静物とか風景とか好きな物を描いてよいことになっていた。でもその昔、絵は作者が勝手に描くものではなく、クライアントがいて、その要求に合わせた絵を描いていた時代があった。建築と同じ。時代のスタイル(様式)があって、その様式の要求する形式にしたがって絵を描いていた。まだ世界がキリスト教の世界観に支配されていて、教会のために絵を描いていた時代。だから、500年たった今でも、その絵の意図することを想像できるし、研究する価値があるということらしい。そこにはルネッサンス時代の人々の世界観がたっぷりつまっている。神は本当にいるのかいないのか?なるほど、私などがルネッサンス絵画をみてもピンとこなかった訳だ。(そして、もちろんその決まり事を守らないでこっそり別なものをかいたりするジョルジョーネさんみたいな人がいたので、現代になっても研究者達が頭を悩ませているらしい・・・。)


現代絵画は見る人に解釈を委ねられている部分が大きいから、作者の意図とは別なものを勝手に読み取ってもいいのだけれど、逆にルネサンス絵画はそのように勝手に解釈するように描かれていなかったので、それらの決まり事を知らないと、意図されたものを全然受け取ることができていなかったわけだ・・・。ヨーロッパ人ならそれでもキリスト教の聖書の物語の主題なら理解できるからいいのかもしれないけれど、そういうコトが分からないとお手上げなのだ。もちろん、前知識なしでも見る人万人に感銘を与えてしまうモナリザみたいな作品もある。しかも、いまだこの人が誰なのか?すら決定論は出ていない。500年もの間人々を魅了しつつまだ謎を投げかけるダヴィンチおじさん。


かびくさーい美術史をとてもさわやかに分からせてくれる1冊。
まあ、この本1冊読んでも全くの入門編なので、建築でいったらファンズワース邸と落水荘サヴォワ邸を習ったくらいのことなのか(笑。

イメージを読む (ちくま学芸文庫)

イメージを読む (ちくま学芸文庫)

夏に帰ったら,次に進んでみよう。

イメージの歴史 (放送大学教材)

イメージの歴史 (放送大学教材)

 アルタ前?


久々に,この人の日記で笑った。


「アルタ前のアルタは、ここのことでしょうか?」


ああやっぱり,この人の書く文章が好き。平然として、とっても変なところに引っかかってくるところ。
昔、学部の学生だった頃、この人の書いたエッセイ「牛への道」があまりに好きで,文庫本の表紙がとてもいい感じだったのもあって当時何人かプレゼントしてみたのだけれどあまり反応がなく、結構哀しかった。以来、一人の楽しみにしている。この人、宮沢氏の演劇は実際見ると実はあまり面白くなかった(私が素人だからだろーか?)のだったけれど(のに2回も行ってしまった。)、この淡々とした日記の文体はとてもしっくり来る。だらだらした切れ目のない文章でも最後までつい読んでしまう。牛への道だよ。遊園地再生事業団だよ。(この人のネーミングセンスは中沢新一なみにすごい、と思う。)


ガルシア・マルケスに出会ったのもこの人のネーミングのおかげなのだった。家族に宮沢氏の「百年目の青空」という新作エッセイを買って欲しいと頼んでおいたら(当時はアマゾンが普及してなかったのだなあ。)、妹が「百年の」と言えばあの有名な本のことだろうと勝手に勘違いして、留学後はじめて日本に帰国したとき、私の本棚には「百年の孤独」が鎮座していた・・・。それまでマルケスを知らなかった私も私だけれど、見たときには目が点だった。な、なんとご立派な本が。これ、私読むのかなー?と半信半疑ながら、とりあえずエッセイの方はあきらめてそれをドイツまで持ってきた。今ではあの勘違いに大感謝なわけだけれど(知らなかったらあんな重たい本買わなかったでしょう。)。読み始めてびっくり。なんだ、このすごい小説。まさに縁とは異なもの。不思議な出会い。


牛への道 (新潮文庫)

牛への道 (新潮文庫)

 屋根のうえで。そして川のむこうに。

現場で上棟式があった。1年以上前に設計した家の工事がだいぶ遅れてはじまったので、やっとその日を迎えることができた。ひとつのプロジェクトを進めていく、ということはただ机上で図面をひくことではなく、ものすごくたくさんの人との協同作業だ。家/建物を建てたいひともその仕事を請け負うひともそういうことのすべてをちゃんと管理/マネージメントできる人間でなくてはならない訳で、いつか自分もこのイベントの一部でなく、それを責任もって請け負う立場になれるのか。と春の強い日差しのなか、ビールでいろんな職人さんたちと乾杯しながら考えていた。いまはまだ守られた存在にすぎない訳で。


昼間からビールの飲み過ぎで,夕方早々ダウンして寝てしまった。おかげで夜中に目が覚めたので「黄色い雨」の続きを読了。ラテンの国といってもスペインという国の人たちにはそのものすごく強い日差しと明るさの裏に,とてつもない孤独感がある。前に私の生まれてはじめてのゲイの友達であったスペイン人が言っていた。「スペインはとても貧しい国なんだ。」と。貧しい、という言葉を彼が使ったのは多分,当時まだお互いなれないドイツ語で話したからなのだろうけれど、でもあの言葉がスペインという国のことを考えるときいつもどこかに思い浮かぶ。多分,スペイン料理の素朴さの話をしていたときだったと思う。その飾らない日常の話をしていたときの話。


スペインの現代建築は時にとても冷たい。スイス人のミニマリズムとは違うのだ。スイスははっきりいってヨーロッパいちお金持ちの国だ。貧しい、なんて絶対言わない。あのミニマリズム建築を成立させる為にかかる建設費はものすごい。(そういうものを施主が負担できなくては成立しない。)スペインにそういう社会的背景はないはずだ。だけれど、あの白い、妥協を許さない透徹した意志はなんなのだろう?と時々思っていたけれど、この小説を読んでいたら、すこし彼らに通じる所があると思った。


この小説はある貧しい村の最後を見届ける老人の最後を書いたものだ。最初に読みながら思い浮かんでいたシーンはナウシカの始まりの、また一つ村が死んだ、という台詞だった。自分一人しか世界にいない。映画"I Am Legend"のように劇的でも英雄的でもなく、ただ静かに自分の村の最後と対峙する老人の独白。こういう小説が現代のスペインでどのように受け取られているのかが気になる。(それは訳者の後書きを読めば少しは伝わってくるけれど。)世界中でこういう過疎の問題は存在する。そこから見るとこの小説は少し美しすぎるような気はする。それでも、ココロに残る残像があとからじわりと効いてくるのかもしれない。

黄色い雨

黄色い雨

ダンスダンスダンス!


昨日、久々にダンスをみにいった。3人の気鋭(らしい)の振り付け家による3つの作品を某M市立劇場付きダンサーたちがおどる。
Ko"rpersprachen=身体言語 というシリーズ。1つはフォーサイスの96年の作品で、やっぱりどれよりも面白かった。
(他の2つはシュテファン・トスとマルコ・ゲッケという振付家の作品。)


究極に身体の表現の可能性を追求しているフォーサイスの振り付けは、無駄がいっさい無い。いくつかの動きの組み合わせと切れ切れになったベートーベンの交響曲の数小節がひたすら繰り返されて、重なり、またずれていく。10年も前の作品なのに、少しも色あせていない。特徴的な動きの1つは身体の一部を強調してみせる、というもの。怪我したときに子供がやってみせるみたいに。おなかを出してみたり、ほおをふくらませてみたり、注射で肩を出す時のように腕をのばしてみたり、お尻を両手でマルく囲ってみたり。ひざをカクっと折ってみたり。その一瞬止まるダンサー達の表情がまた何ともいえない。洗練された動きの中にこの不器用な動きが織り込まれ、日常と抽象の世界のギャップが一気に縮まるような錯覚/齟齬を引き起こす。


いつものようにヴィヴィッドな色の衣装が動きに輪郭/残像をつくっていく。


他の2作品はストーリーと演出に頼るところが大きくて、パフォーマンスとしてみれば面白いアイディアはたくさんあって美しいのだけれど、でもそれなら生のダンサーでなくてもいい訳で(映像の美しさに勝てない。)、目の前でダンサーが踊る気迫という点ではフォーサイスを越えるものではなかった。とくに後半のゲッケ作品は黒い風船が舞台を埋め尽くしている中でダンサー達が踊る、というものなのだけれど、その演出がつくる世界観と音楽(中国語(?)の読経)がダンスを凌駕してしまって、ダンサーの動きが埋もれてしまっていた。あるイメージを作り出そうとしているのだけれど(例えばうごめく蟲の卵とか体内とかそういったもの。)、醜いもの、気味悪いもの、の世界を描こうとしているのに、あの美しさは何だ!(→あ,日本にもそういうアニメがありましたね。蟲愛づる姫。)魑魅魍魎の世界、はドイツ人にはできないのかもしれないな、とちょっと思う。


フォーサイス,見たことない人は是非↓(これは本人。)
http://www.youtube.com/watch?v=eSvY20Wo5ug&feature=related
この人と同じ時代に生きててよかった。


そしてこれ。すごいもの発見。DVDが出てたなんて。思わず瞬時に"買う"ボタンをおしてしまった・・・。
この作品を見ずしては死ねません。という感動的傑作。
もう一度(いや何度でも)、どこかで見たいなあ。(去年の日本公演でもやったはず、で身体がよじれる程、帰国しようかと思った。)

ONE FLAT THING, REPRODUCED [DVD]

ONE FLAT THING, REPRODUCED [DVD]