またもや外国語の認識について(メモなので未整理・・・アシカラズ)


熱い議論に聞き耳を立てつつ、また、ドイツ語の認識状態について考えていた。
ドイツ語を聞いている時は、意味内容が分かろうが分かるまいが日本語を介していない。
Ich sende jetzt den Fax.と誰かが言ったら言い終わる瞬間にはその人が
いまファックスを送ろうとしている、ということを理解している。


ただ、そのときには "状態" を理解しているのであって、言葉(インプット)が何語
だったとしても関係ないような気がした。(これは重要そうなこと。)


相変わらずつづけている英語のヒアリングも多分、そうなのだ。
聞いたそばから日本語を介して意味を理解しているわけではないことに気がついた。


I'll send a Fax now. というsentenceを聞いたとき、
英語の場合は日常的に使っている訳でないからといって
いちいち「私は、送ろうとしている、ファックスを、今」という日本語が頭の中に
出てくる訳ではない。
例えばFaxというところだけ聞こえたとして、あーFaxなんだな、と思うだけで次の
文へと流れて行ってしまう。それが、一連の行動として、具体的に
自分に伝わってこないだけなのだ。Faxの話だということだけが分かって、
それ以上でも以下でもない。


多分、外国語を理解するというのはこのただ雑音のように流れている外国語
の羅列をいかに意味がある音のまとまりとして自分のなかで具体的に聞けるようになるか、
ということだ。具体的に、とは、動作なら動作を瞬間的にイメージ(絵)としてとらえられる
ということだ。


具体的にイメージができる部分が増えれば増えるほど分かるように
なってくる。今の私は、ただ、音は結構聞こえている。だから単語は結構たくさん
聞き取れるのだ。もしゆっくり書く時間があるなら8割の単語は書き出せるような
気もする。でも、それは単語の羅列であって意味をなして聞こえている部分が少ない。


どばばばばーっと流れては消えて行く英語のアナウンスが、誰々が今何をして、
どうなったのか、と具体的な話として聞けている部分がまだまだ少ない。
DNAの塩基の配列(CCGGGTTAAA)みたいなもんだ。意味のある塩基の配列部分が
分からない。


映画だと、映像と単語である程度ストーリーを想像してしまえる。
でも、これはまったくもってヒアリングができていることと違うのだ。


ドイツ語を聞いているときの私は、分からない単語はあれども、文の骨格は理解している。


マイヤーさんが何になった。と聞こえたとする。


ここではマイヤーさん、という主語しかわからなくても、何かをしたのか
何かになったのか、はたまた、何々である、とかそういった文の骨格だけ理解していたりする。
これは英語を聞いている時のわたしとは全然違う。分からないのが何なのか分かっている。
これがどんどん次の文を聞きながら、何、の部分を保留しつつ、想像できるのだ。



だから、ヒアリングの練習をするときはやはり、ただ垂れ流しにしていても分かるようには
ならないのではないか。とにかく単語の音だけ聞き取っていくのではなく、意味のまとまりとして
聞こえるように、できるだけやはりストーリーは想像して聞いて行かなくてはならない。
最初は2文節でもいい。何何が何何。何々がどうなった。何々は何々に。とか。
そのうち3文節、4文節、と一気につながって意味がわかるところが増えるはず。


最近ドイツ語の問題はまた語彙力に戻ってきた。骨格がわかっても何何の内容が
文脈から想像できないことだって、やっぱりたくさんある。次なるステップアップはやっぱり
語彙力なんでしょう。でも、英語はまだその段階ではない。骨格を聞けるようになりたい。


骨格理解のためにはリーディングもいいような気がする。文章を早くどんどん読んで
一回で理解できる文節の長さを増やして行けば、これはヒアリングで聞いて理解できる
文節の長さにもかかわってくると思う。

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明日から冬休みで帰国。
日本にいったら、教材しいれるぞ。