大文字の文学。


フィンランドで読み始めた「カラマーゾフの兄弟」を再開。
今,日本では新訳が出たとかでかなり旬らしいけれど、これを読み始めたきっかけは
2年前くらいに、事務所の同僚と「カラマーゾフ」を読んだかどうか、
という話になってずっと気になっていたのだ。


「JIU、カラマーゾフを読まないとキリスト教は分からないよ」とボスにいわれて
はじめてその存在を認識した。ドストエフスキーの名前はさすがに知っていても
カラマーゾフ」がその代表作だとも知らなかった。
ロシア文学なーんてまったく読んだことがないしょうもない大人なのでした。私は。
日本文学は結構読破してるのですけどね。
どーも。ロシアはね。勝手に敬遠していたのでした。


それでやっとこさ、この間帰国したときに実家の本棚でほこりをかぶっていた親の
世界文学全集をひっぱりだしてきた。だからカラマーゾフを今更読んでいる大人の
一人ではあるけれども、新しくなった訳ではなく旧態依然としたふるくさーい日本語
の世界を迷走しはじめた。


ストーリーの舞台は現代の私たちにとって???なことが続くので、はっきりいって
修行僧の気持ちになって耐えなくては読み進めません。が、途中の会話にでてくる
「神とは?人間とは?信仰とは?」という執拗な問いの凄惨さが、ああ大文学。
こういう人生を賭した問いかけがあるのが、文学なのだった。なんだか忘れていた。


・・・われわれ一同がこの世で信仰を持たないのは心が浅いからだ。
つまり、暇がないからだよ。第一、いろんな用事にかまけてしまう、
第二に、神様が時間を十分授けてくださらなかったので、一日に
二十四時間やそこらのきまりでは、悔い改めるはさておき、十分に
寝る暇もないでなあ。・・・



時々入り込んでいるこんな不届きな一文ににやりとしつつ。
いまもむかしもやっぱりね。


寝ぼけた朝の頭にブンガクビタミンはじわじわ効きます。
しばらく朝の修行はつづきます。
カラマーゾフの兄弟〈第1巻〉 (岩波文庫)