秋空とまだみぬ来年の日々


昨日、CDも届いたけれど来年の手帳もとどいたのだった。
まだ汗をかいている、小中学生ならまだ夏の宿題の残りをやっているかも
知れないころにあの手帳は注文した。なんて気の早い、と思ったけれど
届いてみるとそうでもない。


私は30になるまで、勤め人生活では頭で覚えられる以上の
予定などほとんどないし、いれない生活だったので手帳など
縁がなかったのだけれど、妹がひょっこり3年前のクリスマスに
ほぼ日手帳というのをくれた。(くれた本人は翌年にはもう浮気して
違うのを使っているようだけれど。)手帳を使うようになったから予定が
増えたのかどうだかよく分からないけれど手帳という奴は実はやたら便利だった。


手帳は本来、未来の予定を書くものなのかもしれないけれど、ここでは
終わってしまった今日やった仕事の内容を書いておくのも重要なのだ。
ドイツの社会では自分はこれだけ仕事をしている、とあとから証拠になるので、
とにかく時間表の管理は日々の重要項目である。日本では成果物がすべてだけれど、
こちらはそうでもない。それをやるのにどれくらい時間をかけたのかが、
価値に直結する。(長ければいい訳ではもちろんないけれど。)


妹がくれた手帳は偶然なのだか私の生活形態にものすごく合っていたらしい。
未来の予定を見通すための手帳より過去の記録を残すため、日々のページが
でかいところがいい。毎日すみっこに書いてある一行メモがあるのだけれど、
たまにみて会議中にニヤリとできるのもまたいい。


でも多分この手帳を使ってしまっている本当の理由はレイアウトとか
種々のおまけのことより、


紙とついているボールペンの触覚にやられたからだ、


と思う。その筆触り(?)がとにかくやたらいいのだ。
その何の変哲もなさそうな事務ボールペンと紙が。書くたびにぞくぞくするほど。
書くこと自体が快感ということが手帳を使いつづける大きな動機になっている。
そうでなければきっとまた怠惰な私はとっくに仕事の日誌を手帳につけることなど
やめているような気がする。子供のころにあこがれて買っていたまっしろな
外国の手帳のように。


この年になって出会った不思議な仕事道具である。
こだわる人が多い理由が今なら少し分かった。