月は東に陽は西に。山は南に海はもっと南に。

jiu2008-02-01



この街に引っ越してきてから5年以上も経つのにいまだに方向感覚を失うことがある。この街はアルプスの北側にある。要するに都市の南側に高い山脈がある。そして都市の北側は永遠北海に出るまで真っ平らだ。この大雑把にいえば、北に海があって、南が高い山脈、というこの都市の配置は私の方向感覚を決定的に狂わせるのだ。頭では分かっていても、南が太平洋で西に富士山、北に日本アルプスがあって、トンネルをぬけると雪国、そして日本海、というところで育って体にしみ込んだ方向感覚はそう簡単に変わらない。体が時差を調整できるように、この方向感覚というのもどの日本人に聞いてもそんなにひどい狂いはないらしいのだけれど、私にとっては決定的なのだ。


越してきたばかりのころ、街から天気がいい日はアルプスがみえる、というので大学の屋上にできたばかりの友人達と上った。さて、皆がわ〜っと叫んでいるとき私は一人違う方向をみて頭をかしげていたのだ。体が勝手に山がみえるといえば北西の方向だと思ってそちらを見ていた。山がある筈が無い。"jiu、何見てるの?"という一言で我に帰る。え?山ってあっちじゃないの?、と頭をかしげる私に、全員大爆笑。山は南だよ、と。これは忘れがたい思い出になった。


あれから5年もたったのに。一昨日から人間の空間認識についての話を読みながらこの自分に染み付いた方向感覚のことを考える。いまでもスキーに行くのに南に車を走らせると山が見えてくるのにものすごい違和感がある。先週も、教会のドーム屋根越しにアルプスの見えるとっておきのバーに朝からコーヒーを飲みに東京からのお客さんを案内して、山があっちに見えるんですよ!と説明しながら、体がよじれるような違和感をひそかに感じていた。目の前に見えていながら、あれが南だとは信じられない自分がどこかにいる。向こうには海が見えなくては・・・。とドイツ人に言ったら、山の向こうには海があるよ、だそうだ。


祖父母の住む日本海側の街に行ってもそれほどの違和感がないのは、山を越えたと自分で認識しているからなのだろうか。でもこの街の方向感覚にはいまだに酔ってしまう。今日はトラムを逆向きに座って見慣れない風景の移り変わり方(いつもは進行方向むきにすわるから。)を眺め軽い目眩を覚えつつ、また方向感覚のことを考えていた。このままではいつまでたってもここは外国のままだなあ・・・。


ドローイングはFlickerで見つけたアーティスト。
http://www.flickr.com/photos/kmasback/sets/72157600095418674/
わたしの狂ってゆらめく方向感覚をそのまま絵にしたような。たゆたう線と色の戯れがたまらない。
昔課題でやったカルヴィーノの「見えない都市」をドローイングしたときの感じをふと思い出す。