レイアウトの法則


内容よりタイトルと本の装丁が気になって買った本。ジャケ買いならぬ装丁買い。タイトルにふさわしく本文のデザインも凝りに凝った杉浦康平風。(今よく見たらお弟子さんでした。最後にその装丁家との対談も入っている。)


さて、5年前買った当時は大学院生だったし、流行の理論だったアフォーダンスに興味があったのだと思うけれど、最初の前書きだけ読んでそのままになっていたのが、また今月たまたま脳の本を続けて読んだので、ちょっとものの認識理論に再度興味がわいてきた。


この本はとにかく風変わりな日本語が使われる。「レイアウト」と「肌理」だ。
自然のレイアウト、大気のレイアウト、光のレイアウト、光の差のレイアウト・・・
光の肌理、森の肌理、周囲の肌理・・・
翻訳文学かなにか、のような変な語感の不思議な前書きではじまる。新しい現象を記述するには新しい言葉が必要なのだ。


目がどのように世界をみているか、というと、物体が発する光が目というレンズを通して像を結んでいる、というのがいままでの解釈だったけれど、どうもそうではない、ということをギブソンという人が言い出した。そしてその目が見ているものを2次元に再現してみせるやり方が遠近法、と考えられてきたけれど、目は遠近法的に世界を把握しているのではないよ、という。


物体は光を発するだけではなく、隣り合う物体同士の光を反射しあってもいて、世界は反射光に満ちている。そしてそれぞれの物体は様々な反射光に包囲されている。その包囲光の状態の差異(光のレイアウト、と作者がよぶもの)を目は見ているのだ、という。


本書ではギブソンが実際どういうことを言っているのかが、分野の違うアートの世界に属する人たちとの4つの対談を通して説明されていく。1つ目は印象派の画家達の方法論が実はこのギブソンの認識論を先取りしていた、という話。次は写真の話。目が認識する世界と、カメラが認識する世界、さらにそのカメラが撮った写真を見るという目の行為・・・。(あとの2つはまだ読んでいない。)


建築の世界はいまだ遠近法的に世界を認識する方法から抜け出せていない。毎日毎日パースペクティブと格闘中だ。そして図面で描いている世界と、本当の世界とのギャップの想像力が建築家の腕の見せ所だ。どれだけ実際の空間を想像できるか。パースと実際のファサードの見え方は全く違う。だけれど、パースで変だったら実際はもっとおかしなことが起こる訳で、その辺のボリューム感覚やプロポーション感覚はかなり繊細でなくてはならない。100分の1、50分の1の世界からの飛躍。


後半も楽しみ。(3つ目の対談は建築家。)

レイアウトの法則―アートとアフォーダンス

レイアウトの法則―アートとアフォーダンス