yes or no 

2005年からやってきたあるプロジェクトの進退が明日決まる。
このプロジェクトをひそかに準備してきた人たちにとっては10年越しである。
すくなくても私はこのプロジェクトの構想をHと知り合った2000年頃から聞いていた。


建物を建てるというのはこういうことなのだ。
積まれた外壁の石の下にそれを積みはじめる為の営為がどれくらい積み重なって
いるのか。


私たちは、資本家たちの為に譲歩してきたのではない。
建築の新たな一歩を踏み出す為にまだ見ぬ地平を進んできたのだと思いたい。
これで奴らがGOサインを出せないなら、世界の片隅でひとつ建築のアカルイミライ
の卵が外の世界を見ぬまま埋もれることになる。


私たちは建築家としての良心に恥じないだけの努力はしてきた。
(ドイツ人は本当によくGewissen=良心、という言葉を使う。)
この街中の良心に覚えのある人たちの力を総決算して明日、資本家たちに問うのだ。
建築家の渾身の一打が人の心を本当に動かす瞬間、を明日見られるだろうか?


なんだか緊張して眠れない。