休みの気配

ボス夫婦が夏休みに入った。
鬼のいぬまの何とか・・・で事務所は静かだ。


ドイツの祝日は4月のイースターから8月のマリア昇天祭までに集中しているため
(この後はクリスマスまで東西統一記念日以外休みなし。)
この3ヶ月は浮かれている。仕事仲間も協働している会社の担当者の
誰かは必ず祝日に引っ掛けて休みを取っているし
あちらでもこちらでも話題といえば休暇の計画やら、旅行の感想ばかり。
大事なプロジェクトの会議だといっても誰かは必ず休暇でいない。
そういうことがまかり通るこの国の習慣はとても人に優しい。


そして仕事帰りにはビアガーデンでビール。
サマータイムのおかげで夜は10時まで薄ら明るい。
夏の3ヶ月はまじめに仕事の気分ではない。


それでも、プロジェクトが休みになっていたわけではない。
3月末の悲惨な会議の後も、ごねる施主たちを説得し、案を提案し、5月のはじめには
思わぬ助っ人の登場が手伝って、チーム全会一致とはいかなかったが、
なんとか先週、市議会に議案として提出するにいたった。
予算をいただかなくては始まらないのである。


5月、市に新しい建設局長が就任した。その若い女性局長が
このプロジェクトを推進してくれる側についてくれたため、反対派多数だった
プロジェクトの会議のテーブルの重たい歯車が少しずつづれた。


市議会のプレゼンは私は通訳としてだけの参加だったが、
プロジェクトチームとしては感無量だ。日本からきた小さなこのチームの
訴えがどれくらい市議会員たちのココロに響いたのかはわからないが、
それでもやることはやった。長い道のりだった。


もちろん、コンペ案から変更に変更を重ねた現行案はある角度からみれば
ディベロッパーの言いなりになったかのように見えるのかもしれない。
4月には動かない政治をたたいていたマスコミが今度はわれわれ建築家を
批判してくる。ここまでして作る意味があるのか?と問うてくる。


批判はまっとうすぎるほどまっとうだ。
時代のキーワードである「環境問題」や「バリアフリー」を超えて
ジェンダー、ジェネレーションフレンドリー」な計画でなくてはならない。
「ソーシャルヒエラルキー」問題に対しても回答できなくてはならない。
建築家という職業が今問われている社会的責任は大きい。
中国のように能天気な巨大建築を連打するには、この国の社会は成熟しすぎている。
ここを乗り越えて、真に未来の集合住宅のプロトタイプとなりえるような
計画にわれわれの提案がなりえるのか?
まだまだ粘りどころだ。


建築家の暑くて長い夏はまだこれからが本番。